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「ヘイ軍曹!」
 この上なく明るく能天気な声が背後からかかった。ジープに荷物を載せていたサンダースは、声の主を振り返った。
 額に切り傷を作ったカービーが、にこにことご機嫌な笑顔を浮かべながらやってくる。これから二十四時間の休暇なのだろう。
「どこ行くんスか?」
「特別任務だそうだ。俺をご指名だとさ」
「へえ! 指名たあ、さすが軍曹だ。もしかしてヒトラー暗殺とか?」
 サンダースは苦笑した。
「俺に殺し屋の真似が出来るわけ、ないだろう」
「そらそうだ。でも俺なら、その任務、喜んでやりますね。早いところ、この戦争を終わらせたいですからね」
「――何かあったか?」
「この村、女の子が全然いないんですよ!!」
 カービーは天を仰いだ。「ジーザス!」とでも口走りそうな勢いだ。
 サンダースはがっくりと力が抜けるのを自覚したが、カービーのこの調子には慣れている。呆れた目を向けながらも、いつもと変わらぬ部下に安心した。
「俺の今の一番の望み、何だか分かりますか?」
「女の子だろ?」
「綺麗どころのお姉ちゃんをずらーっと並べて酒飲んでカードやって、ぱーっと騒ぐことですよ! でもって、翌朝まで……ウヒヒ。なのに、この村はお姉ちゃんもいなけりゃ碌な酒もありゃしねえ」
「女の子がいたところで」と、サンダースは苦笑を堪えながら言った。「お前にゃ無理だ」
「何がです?」
「みんな逃げちまうよ、ミスター・カービー。小隊長を見習って、少しは紳士の作法を学ぶんだな」
 カービーはムッとするどころか、感心したように頷いた。
「ああ、なるほど。小隊長がモテるのは、階級のせいばかりじゃないってこってすね」
 顔もいいけどな、とサンダースは内心付け加えた。
 大体ギル・ヘンリーという人物は、男から見てもハンサムだ。ハンサムすぎて嫌味なぐらいだが、独特のユーモアがあって同性からも嫌われるようなことはない。あれでカービー並みにちゃらんぽらんなら人生も楽しいだろうが、根が真面目なので今一つ損をしているようだ。
 もっとも、自身がヘンリーに輪をかけて生真面目すぎることを、サンダースは全然気付いていないのだが。
「軍曹! 出ますよ!」
 ジープのドライバーが声を張り上げた。彼はサンダースを送るためだけにこの任についていた。まったく、たかが3等軍曹一人のために、どうして俺が狩り出されなきゃいけないんだ、と彼は仲間内に不平を漏らしていた。
 乗り込んだジープが出発してすぐ、後方でケイジの声が聞こえた。カービーが「軍曹は出張だとよ!」と怒鳴っていた。


 人間は誰でも頭の中にスイッチを持っている。
 仕事であれ遊びであれ、そのスイッチを切り替えることで集中力が格段に変わってくる。兵士は最たるものだろう。訓練では、切り替える向こう側の世界を教えてくれても、その術は自分で学ぶしかない。出来なければ、死期を早めるだけだ。
 上層部の期待通りなら、この連中はその基礎が出来上がっているはずだ。
 サンダースはコールフィールドたちと、息を潜めて敵に近付いていった。小説や映画にあるように、意識して気配を殺すような真似は無理だ。また、大抵の人間はそれを明確に感じ取ることも不可能だ。ただ「何となく」人がいるような気がしたり、「何となく」気配を消すよう努力するのが精一杯である。
 パトロール中のドイツ兵がふと振り返った。「何となく」サンダースたちの気配を感じたのかもしれない。
 見つかったと思ったハガーティが叫びそうになり、ハロウェイが口を塞いだ。目だけで罵り、堅く握り締めた拳を突き出して脅す。ハガーティは目を白黒させ、こくこくと頷いた。
 コールフィールドは意に介した様子はないが、サンダースはほっと胸を撫で下ろした。
 新兵は何をやらかすか分からない。その結果、他の兵たちの寿命が縮みかねない。それが一番怖かった。
 かつてジプシーが好んで逗留したというだけあって、広さも気候も申し分ない場所だった。その中心に天幕が張られており、傍らで火が焚かれている。穏やかな風に乗って、コーヒーの旨そうな香りが漂ってきた。火の周りで、三人ほどが談笑しながらカップに口をつけている。
 一分隊が外へ見張りに行き、もう一分隊が補給処をパトロールし、残りが天幕内で休憩しているのだろう。四人が、補給処を行ったり来たりしていた。
 敵が燃料を狙ってくるのは想定内だ。ドイツ兵は、端に置いてあるドラム缶を中心に、ぐるぐる回っていた。だが、彼らにとって予想外だったのは、サンダースたちの狙いがドイツ兵そのものということだ。
 サンダースはコールフィールドたちを置いて、トラックから離れた。腰を落とし、ゆっくり、音を立てずに近付いていく。
 途中、パトロールがこちらを向いた。サンダースはサッと伏せ、微動だにしなかった。ドイツ兵は気付かなかった。
 サンダースはそのまま、匍匐前進で天幕近くまで近付いていった。
 彼らに個人的な恨みはない。ユダヤ人への仕打ちは許せないが、ドイツ人にも非道な政策に反対して、手を差し伸べる者もいるという。兵の中に、そんな奴がいるかもしれない。語り合ってみれば、意外と気のいい連中かもしれない。
 だが、これは戦争だ。自分たちが相手にするのは、どこそこの誰ではなく、「ドイツ軍」という一つの大きな敵である。情を移していては、戦うことはできない。
 戦闘態勢にない相手を不意打ちで殺すのは、些か気が咎めた。
 だが、命令である。そして相手は捕虜ではない。
 サンダースは内ポケットから手榴弾を取り出し、ピンを引き抜いた。
 神よ、と心の中で祈る。自分のためなのか、ドイツ兵のためなのか、サンダースには分からなかった。
 彼は手榴弾を放り投げ、ヘルメットを抑えながらうつ伏せになった。ややあって、天幕まで転がった手榴弾が爆発した。
 天幕の外にいたドイツ兵が叫んだ。
「Amerikaner!」
 敵を探して周囲を見回す。内、二人が天幕に飛び込んだ。
「Es ist Feind! Wo ist es?」
「Schutzen Sie Brennstoff!!」
 パトロールをしていた四人が口々に叫んだ。
 天幕に火がつく。サンダースはそれを見て、さっと手を上げた。
 コールフィールドがトラックから身を出して、引き金を引いた。ハロウェイもそれに倣う。
「ハガーティ!!」
 ハロウェイが怒鳴った。ハガーティは銃を抱え、がたがた震えていた。
「てめえ!! 早くしねえと俺がぶっ殺すぞ!!」
 天幕からは叫び声が聞こえてくる。まだ息のあった兵を、飛び込んだ仲間が連れ出し、そこにコールフィールドの弾が襲い掛かる。
「Arschloch!!」
 何を言っているかは分からないが、罵りの言葉なのは間違いなかった。
 パトロールの四人が、コールフィールドたちに銃を向けた。サンダースは、素早く移動し、手榴弾をぽんと放り投げた。弧を描きながら、それはドラム缶の真ん中に落ちた。
 ドン!!
 大爆発を起こし、火柱が次々に上がる。ドイツ兵たちは呆然となった。
「Machen Sie Feuer aus!」
「Nein! Entkommen Sie!」
 指揮系統が混乱している。恐らく、小隊長は天幕の中にいた一人なのだろう。
 各々、サンダースやコールフィールドたちに向けて引き金を引く。
 そこへ、離れた位置からストーンたちが銃弾を浴びせた。
 ドイツ兵たちは、益々騒然となった。彼らは今、一個中隊に襲われている錯覚に陥っていた。アメリカ兵が周りをぐるりと取り囲み、あちこちに潜んで襲ってきていると。
 狙ったわけではないが、サンダースたちにとっては思いもよらぬ効果をもたらしたことになる。
 ハロウェイは笑っていた。まるで子供の遊びのようだと思った。湖にいる水鳥を狙い撃ちしているようなものだ。
 惜しむらくは、彼に動く標的を当てるほどの実力が備わっていないことだったが、それも余裕たっぷりのハロウェイにとっては、ハンデぐらいにしか思えなかった。
「逃げろ、逃げろ! ほれほれ!」
 ハガーティはまだ隠れていた。彼は恐ろしかった。死ぬのが怖かった。上司を手にかけたのも、あの剣幕では自分が殺されると思ったからだった。――その理由が、ハガーティの使い込みにあったとしても、御免なさいと謝って許されない以上、後は口を塞ぐしかないと思った。
 ボツッ、と音がしてトラックに穴が開いた。ハガーティは叫び声を上げた。慌ててそこから離れたが、直後にトラックは炎上した。
「ひい! ひいい!」
 隠れる場所がなくなった。死にたくない。ならば、上司を殺害したときと同じだ。やるしかない。
 ハガーティはがむしゃらに引き金を引き絞った。敵の一人に当たったが、致命傷ではなかった。ハガーティはその一人だけを徹底的に狙った。弾が当たるたび、壊れた操り人形のように揺れ動くその姿が、面白くなってきた。
 ストーンたちは、慎重に敵を狙った。確実に相手は減っていた。
 ストーンが見たところ、やはりサンダースとコールフィールドの狙いは確かだった。ハロウェイとハガーティは、まるで周りが見えていない。目の前のことにだけ集中し、遊んでいる風ですらある。
 敵が二人を狙うのを、ストーンたちは狙い撃ちした。後で感謝してもらいたいもんだ、と彼は思った。だが、奴らは気付きもしないだろう。
 ノートンとウィリーは、思ったより冷静に仕事をこなしていた。黙々とし、文句の一つも言わない。なるほど、サンダースの見る目は確かだとストーンは思った。ただし、

 ――俺以外は。

 そう思った瞬間、銃声と爆発音に紛れ、ストーンの耳元で何か弾けた。
 彼は振り返った。とたん、さあっと顔から血の気が引いた。その音すら聞こえる気がした。
「まずいぞ……!」
「――え?」
 ウィリーが手を止めた。
「敵だ。畜生、やっぱり戻ってきやがった」
 サンダースが下に向かう前、ストーンに耳打ちしたのだ。爆発に気付いて、見張りに出ている連中が戻ってくるかもしれないと。それを他のメンバーが知れば、怖気づく者もいるだろう。だから、サンダースは他の誰にも言わなかった。
 ストーンは、サンダースたちを見た。こちらには気付いていない。助けを求める暇はない。彼は躊躇うことなく、瞬時に判断した。
「ムーア! お前伏せてろ! ウィリー、ノートン! 敵だ! 撃て! 撃ち殺すんだ!」
 その声に、ノートンもようやく背後の敵に気付いた。
 ムーアが素早く伏せた。彼は赤十字の腕章をしていない。しかも手元に銃がある。衛生兵は武器を持たないのだから、代わりだと言ったところでドイツ兵に分かるはずもない。
 三人は、がむしゃらに引き金を絞った。
 先頭にいたドイツ兵が叫び声を上げて倒れた。
「Haut!」
 次の兵隊が、岩陰に身を隠した。
 ストーンは舌打ちした。つい先程まで、彼らは眼下の敵を狙い撃ちしていた。炎のおかげで、よく見えた。面白いぐらいに。だが今は、敵の前に身を晒している。
「畜生、まずいぞ。俺ら、このままじゃ……」
「手榴弾を叩き込んでやる」
と、ノートンが言った。「援護しろ」
「馬鹿言うなよ! 格好の標的だぞ!」
 ウィリーが目を丸くした。
「このままでも同じことだろうが。俺はお前らと違うんだ。ドイツ兵なんざ、怖くねえ」
 返事を待たず、ノートンは飛び出した。
「馬鹿野郎!」
 ストーンは舌打ちし、援護のため、銃を撃ち続けた。途中で弾が切れて、補充しなければならなかった。その隙に肩を撃たれた。ストーンはもんどりうった。
「マルコム!」
「俺に構うな! 撃ち続けろ!」
 ムーアが近寄ってきた。サルファ剤を取り出し、口で封を噛み切ると肩に振り掛ける。
「肉を抉っただけだ。大したことはない」
「十分、大したことだと思うがね」
「もっと重症で働く奴は山ほどいる」
「分かったよ、働くさ」
 ムーアが止血帯で血を止めている間に、ノートンは匍匐前進を続けた。ドイツ兵はウィリーにばかり気を取られ、ノートンには気付いていなかった。
 しかし、後少しというところで一人が叫んだ。
「Amerikaner!」
「くそ!!」
 ノートンは罵り、立ち上がった。右腕を大きく振りかぶった瞬間、彼の胸と腹に三発の弾が撃ち込まれた。
「ダグラス!!」
 ウィリーが叫んだ。「畜生!」
 ウィリーは引き金を引き続けた。しかし、弾が切れ、M1ガーランド・ライフルはカチカチと軽く情けない音を立てた。
「あ――!」
「どけ! 俺がやる!」
 即座にストーンが代わった。
「ノートン! 戻って来い!」
 撃たれたノートンは、その場に立ち尽くしていた。更に五発が撃ち込まれた。身体が踊ったが、彼はドイツ兵に向けて、にやりと笑った。
「Verstand ist lustig……」
 ノートンは握ったままの手榴弾を思い切り投げつけた。子供の頃は野球選手になりたかった。それもピッチャーだ。マイナーリーグに入ったことのある男から、有名選手の話を聞くのが楽しみだった。けれどそいつも、マリファナで身を持ち崩して結局、早々に戻ってきたのだった。彼の話の九割が嘘っぱちだと知ったのは、ノートンが十歳のときだった。
 手榴弾は、一直線にドイツ兵の真ん中へ飛んでいった。
 俺の球もなかなかだろう?
 ノートンは微笑んだ。満足そうな笑みだった。彼は、頭の中でキャッチボールをしていた。相手は、彼が殺した黒人の少年だった。それがいつの間にか、ウィリーの顔に変わったが、ノートンは気付かなかった。
 手榴弾が爆発すると同時に、彼はその場に崩れ落ちた。


 サンダースは援護がなくなったことに気付いた。案の定、見張りの連中が戻ってきたらしい。
 敵はほとんど全滅していたが、本当に死んでいるか確認してから、ストーンたちのところへ行かなければならない。まだ銃を撃ち続けているハロウェイとハガーティを止めて、サンダースはそう指示した。
 二人は――驚いたことに、ハガーティまでが嬉々として、死体を銃口で突き、蹴飛ばし、爪先でひっくり返してはドイツ兵の死亡を確認していった。
 自分たちは無傷のまま敵を全滅させるのは、一種の快感が伴う。達成感と、生き残った安堵感。それに飲み込まれてはいけない。快感を味わうために戦闘を楽しむようになれば、後は転がり落ちていくだけだ。兵士としても人としても、二度と這い上がれないだろう。
 だが今は、それを嗜める時でない。サンダースはコールフィールドに後を任せて、ストーンたちのところへ向かうことにした。ついさっき手榴弾が爆発して、銃声が止んだ。向こうの戦闘も、終了したのかもしれない。生き残ったのは、どちらだろうか、と彼は唾を飲み込んだ。
 その瞬間、銃声が鳴り響いた。ハガーティが叫んだ。
 サンダースが振り返ると、腕を押さえたハガーティがひいひい言いながら転げ回っていた。その傍らに、腹を左手で押さえたドイツ兵が立っている。そして、鬼のような形相と右手のワルサーをサンダースに向けた。
「軍曹!!」
 伍長がサンダースの前に立ち塞がった。銃声が鳴り響く。彼の巨体が邪魔で、トンプソンを構えられない。サンダースはそれを捨て、腰のコルトに手をやった。コールフィールドの脇から、ほとんど相手を見ず、勘だけで引き金を引いた。
 ボッ、と額に穴が開いた。ドイツ兵は目を真ん丸に見開き、その場に崩れ落ちた。
「伍長、大丈夫か? 怪我は?」
「大丈夫です。軍曹こそ、お怪我は?」
「お前のおかげで助かった。――ハガーティ?」
 サンダースは言葉を失った。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたハガーティが、死んだドイツ兵の胸にM1ガーランドの銃尾を何度も叩きつけていた。
「この野郎この野郎この野郎!!」
 蹴飛ばし、引っ繰り返し、また背中を叩きつける。
「ハガーティ。ハガーティ、よせ!!」
 サンダースは寄っていって、ハガーティの腕を掴んだ。ハガーティはぜいぜいと息を切らせている。股間が濡れていた。戦闘の最中のことなのか、今漏らしたのかは分からなかったが、恐怖が彼を追い詰めたのは確かだった。
「ハロウェイ、ハガーティを見てやれ。伍長、後を頼む。俺はストーンたちのところへ行く」
 事の次第をぽかんと眺めていたハロウェイが頷くのを確認して、サンダースは駆け出した。
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